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償い

Twitterで出会った全てに感謝している。

全てとは、全てだ。

 

 

 

 

ひとつの償いを今私は行っている最中だ。

ここで諸事情を書いてしまうとまったくもって償いにはならないので代わりにさだまさしに代弁して貰おうと今回ばかしはサクッとさだまさしの力を借りようと思う。さだまさしの償いは以下だ。

 

 

 

 

 

月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり 僕だけが知っているのだ 彼はここに来る前にたった一度だけ たった一度だけ哀しい過ちを犯してしまったのだ 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた 人殺し あんたを許さないと 彼をののしった 被害者の奥さんの涙の足もとで 彼はひたすら大声で泣き乍ら ただ頭を床にこすりつけるだけだった それから彼は人が変わった 何もかも 忘れて 働いて 働いて 償いきれるはずもないが せめてもと 毎月あの人に仕送りをしている 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた それは事件から数えてようやく七年目に初めて あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に 主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい 手紙の中身はどうでもよかった それよりも 償いきれるはずもない あの人から 返事が来たのが ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて 神様って 思わず僕は叫んでいた 彼は許されたと思っていいのですか 来月も郵便局へ通うはずの やさしい人を許してくれて ありがとう 人間って哀しいね だってみんなやさしい それが傷つけあって かばいあって 何だかもらい泣きの涙が とまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

是非メロディーに合わせてさだまさしの償いを聴いてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の償いは行為そのものではない。ココロである事をゆうちゃんの被害者となってしまった奥さんの言葉から垣間みえた言葉にあった。あなたの文字を見るたびに主人を思い出して辛いと奥さんは言っている。

償いきれるはずもないとゆうちゃんは泣いた。7年間の月日を経て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交通事故の話だ。

これは交通事故で人が人をやってしまった話だから非常に冷静になって考えてみると法律違反を犯してしまった犯罪の歌である。感動している場合ではない。ゆうちゃんの事故は悲惨でゆうちゃんは加害者だ。決して許されない。悲しい歌なので妙に感動されても困るだろう。

 

 

 

ただ私は、さだまさしの償いからほんの少しの学びを得た。それは、人間は人間でも人間なので人間しか出来ないということだ。涙を流したり過去を悔やんだり人を憎しんだって決して時間は戻らない。

ゆうちゃんは立派ではない。そもそも人をやってしまっている。だけどゆうちゃんが被害者の奥さんに行った行為には誠意を感じた。

そんなもの奥さんは望んでいなかったかもわからない。望んでいたかもわからない。ただ最後に一言主人を思い出して辛いからやめてあなたもあなたの人生を生きてというように述べている。許したか許してないかが問題ではなさそうな言葉だ。

そこにあるものはただ、辛い、ということだ。

その辛さにゆうちゃんは向き合い、逃げずに7年間せめてもの送金を続けたのだろう。

 

 

 

特にさだまさしからのご意見はこの歌にない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代わりに私がご意見を残しておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被害者はほんの少しだけ報われたと思う。

ほんの少しだけだけど。

ゆうちゅんの誠実な誠意ある7年に渡る行動はほんの少しだけれど、奥さんの辛さに寄り添えたのかもしれない。

二度とこのようなことが起こらないように。

そして私も被害者の奥さんも同じようにこれからはゆうちゃんもゆうちゃんの人生を生きて欲しいと思う1人になりたい。

もしもゆうちゃんが私の職場に求職者として来た場合は歓迎したいとさえ思う。きっとよく働いてくれるだろう。被害者の奥さんが一生困らないように少しでもなにか自分に出来ることがあればしたいと思う。奥さんは悲しいかもしれないけれど、うちのゆうちゃん今も労働頑張って暮らしてます人生を生きていますとなにかの際にはお伝えする。心から被害者の奥さんに笑顔の増える人生を送って欲しいと願う。悲しいけど優しいねと思えるような人間を自分もやれたら少しはマシかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の人生を生きて欲しいと思いつつも心のどこかであなたが困った時、助けてあげられるように追い越してやるから今に見ていろよと実はめちゃめちゃダダ漏れに思っている。

なにも死んだわけではない。

生きていればなんとでもなる。

私のような者に親切にしていただいた御恩を一生忘れたくないので万が一私が情熱大陸に出演することが決定した際はオンラインのインタビューで構わないので一言お言葉を頂戴したい。

 

頑張って欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような時代なので人が人に頑張れと言うとあまり良くないらしい。だからこそ大切な人に私は頑張ってと伝えている。

 

 

頑張ってね。応援しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の応援とはそいつが転んだ時にすぐ助けてあげられる状態に常に自分が余白を残しておくことだと思う。なので、私はパンパンにしておかない。

 

 

 

 

 

 

 

私の償いはどのような形であれなるべくまともっぽい頑張りを続けていこうと思う。丁寧な性格なので償いとか関係なくどこの誰にでもそこそこに親切をしているけど私の場合の償いは究極な償いなので保険として入ることが出来る制度が仮にあるとすればわりといい線いくんじゃないかな。

投資に例えるならそこそこな成功かもしれない。何を望むのかによってなんとも言い切れない歯痒さがあることだけは再度償いとして改めてお詫び申し上げたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからの人生 だなんて何もそんな大袈裟なことは言わないし思わないけれどいつもどこかであの人は熱く燃えていてどうやらなにかに夢中だけれど内側は腐りながらも泥臭くやっているなといつかどこかで。

私としては特に目標はないけれど小さいやつであればちょこちょことあるので小さいながらもコツコツとクリアしている。情熱大陸の流れが来るかといったらかなりの確率でこのままいくとない。

ついでに言うと生い立ち的にもめちゃくちゃ貧乏で苦労したというわけでもなければ老舗の跡継ぎ的な産まれ方もしていないので番組として味気ないし適齢期に結婚してちょっと普通っぽい感じが人選的にも映えない。

 

野心もない。

競争心もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑なにそこにシンプルがあるだけで。

ご迷惑をお掛けして申し訳がなかったという。

さだまさしの償いにちなんでいうことによって、状況に重みが増したような気配だけを残しつつもいま一度冷静に考えたら迷惑と心配と謝罪の話だ。

私がここまでしか出来ないことも更に謝罪したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はさだまさしにちなんで償いを続ける。

償いは行為ではない。行為なのだけれどココロだ。ココロがないと行為に意味を成さない。

 

夏目漱石も心と言っていたのでブログにした。

ブログが好きだと言っていたので償いの一環として文字にしておいた。noteの方をまた動かしても良かったのだけれどごく稀に間違えてお金を投げ銭されてしまうことがあるのでそれでは償いとして私の潔白感が薄れてしまう。それでは困るのではてぶにした。

 

心はある。